鴨志田穣の生い立ちは?鴨志田ひよの父親はフリーの戦場カメラマン

西原理恵子

鴨志田穣さんの生い立ちはどんなものでしょうか。

 

鴨志田ひよさんの父親である鴨志田穣さんは、ジャーナリストで各国を回っていた方で有名です。

さらには、鴨志田穣さんは毎日かあさんの著者、西原理恵子さんの元旦那さんですね。

 

最近では、鴨志田ひよさんが母の西原理恵子さんは毒親で精神的虐待をブログに綴っていて話題になっていました。

鴨志田ひよさんの父親である鴨志田穣さんどんな方でしょうか。

 

鴨志田穣さんの生い立ちはどのようなものか気になって調べたので紹介します。

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鴨志田穣の生い立ち

鴨志田穣さんの生い立ちはどのようなものでしょうか。

 

以下の通りです。

  • 名前・鴨志田穣(かもしだゆたか)
  • 生年月日・1964年7月2日
  • 没・ 2007年3月20日(当時42歳)
  • 職業・フリージャーナリスト、カメラマン、エッセイスト
  • 出身・神奈川県川崎市出身。北海道札幌市育ち
  • 毎日かあさんでは「アブナイお父さん」として描かれる
  • アルコールの依存による暴言・器物損壊・家庭内暴力等で精神病棟への入退院を繰り返し
  • 2003年に西原理恵子と離婚
  • 2006年遂にアルコールの依存からの回復

鴨志田穣さんは高校卒業後、予備校に2年通った後に大学進学をあきらめて、戦場カメラマン目指したようです。

 

新宿の焼き鳥屋のアルバイトで貯めた金でカメラを買い、23歳で単身タイに渡り、アジア各国を放浪。

後に、ジャーナリストの橋田信介さんに出会い弟子入りし、戦場カメラマンとして活躍します。

 

西原理恵子さんとは1996年、勝谷誠彦さんの紹介により、タイを取材中に出会ったようです。

1996年9月、西原理恵子さんとと勝谷誠彦のアマゾン川取材企画にCSテレビのビデオカメラマンとして同行。

取材後、帰りの飛行機の中で西原にプロポーズをして結婚したそうです。

 

アルコールの依存に陥った原因は、戦場で様々な人に銃を向けられたり、必死に銃を持ち歩く子供など様々なことを目の当たりにしてそのストレスが原因でなったようです。

離婚後に実家に帰っても朝から晩まで飲んでいて、終いには転倒、骨折、血尿に血便、吐血。そして恐ろしい幻覚幻聴。

精神科の病院で入院しています。

 

さらには、その入院中のことを著書の「酔いがさめたら、うちに帰ろう。」に記しています。

 

鴨志田穣さんその他にも、西原理恵子さんと共著した本も7冊あります。

 

ちなみに、アルコールの依存から回復したのは西原理恵子さんが離婚後も支援をしていたためのようです。

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鴨志田ひよさんへの父親としての愛情

鴨志田穣さんの生い立ちはどのようなものか紹介しました。

鴨志田ひよさんは父親のことが大好きなようです。

鴨志田ひよさんは父親はずっと近くにいると感じるとブログに綴っていました。

ニュースで世の情勢を見る度、お父さんだったらどこに行くのだろうと毎日考えるそうです。

 

鴨志田ひよさんは西原ひよとして活動していましたが、2021年6月に鴨志田ひよに改名しています。

 

西原理恵子さんと鴨志田穣さんは2003年に離婚されていますので、鴨志田ひよさんは当時3歳ですね。

さらには、鴨志田穣さんがこの世からいなくなってしまったのは2007年で鴨志田ひよさんは7歳です。

 

鴨志田ひよさんはどのような愛情をかけてもらったかはわかりませんでしたが、鴨志田穣さんは離婚後も子供を思っていたと本に綴っています。

症状が良くなった際は、西原理恵子さんと子供たちと外出を楽しんでいて、「もし退院出来たら、みんなで一緒に住みたい」と言ったことも同様に書いています。

 

鴨志田穣さんの骨は、鴨志田穣さんの意向で西原理恵子さんと子供達で半分は海外の海に流したとありました。(半分は鴨志田家が引き取っています)

 

鴨志田ひよさんは父親との素敵な思い出がたくさんあるようです。

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まとめ

鴨志田穣さんの生い立ちはどのようなものか紹介しました。

鴨志田穣さんは、戦場カメラマンで多くのストレスを抱えたようですね。

 

ですが、鴨志田穣さん子供たちにとっては素敵なお父さんであったことが分かりました。

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